中国深セン時代

日常生活
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中国深セン生活時代

やっと実現出来ました!

中国深セン生活時代の日記ブログのアカウントを復活させる事が出来ました(^_^)

ずっとログインの問題があり複雑でしたが、サポートセンターと直接連絡を取って本人確認してもらってアカウント取り戻しました!

少し覗くだけでもかなり懐かしいです。

日本に戻ってからの一部期間の生活もつづられています。

HSKの中国政府公認試験監督官の資格を取得した頃の事も書いてありました。

自分で見ていてもすごく懐かしです。

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昔の日記が出てきた気分

本当に言葉の通り昔の日記が偶々出てきたような気分です。

妻との日常や当時のブロガーさんとの絡みを思い出します。

ブログからお仕事になった事もありました。

当時の中国は本当に活気がありました。

本当のバブル期を経験している人たちには衰退してきているとは言われていましたが、普通に飲み屋で気が合った人から数千万の仕事をもらったりなんて日常的でした。

報酬は山積みの札束

良くあったのが、当時はまだQRコードで決済なんて中国では行われていなかったので、報酬が直接手渡しで札束どっさりなんて事も良くありました。

日本では未だに見たことのない世界感です。

本当に、いい経験をしてきました。

良い経験も最悪な経験も沢山してきましたし、当然人種差別も受けてきました。

そしてほんとうに思う事

日本は本当に平和な国なんだなと思います。

例えば、待ち合わせ場所に大慌てで駆けてきたきた上司。

「どうしましたか?」

と自分が聞いたら、数百メートル先で強盗に会って、大声を出して叫び続けて何とか気をそらして命かからがら逃げてきた!なんて話もありました。

自分も強盗4名に襲われたこともあります。

当然びた一文与えませんが。

逃げ切りました。

でも、銃器や青龍刀を所持している率が高く、当時は警察官が青龍刀で一般市民を切りつけている場面に遭遇する事もありました。

どちらが悪党なのか分からない世界観でした。

今は平和で先進的な国になっていますが、自分が生活していた当時は常に背後に気を配り、護身具を携帯するばめん場面もありました。

反日デモを家の下でやっていて暴徒化している時等ですね。

なんの脅しも躊躇もなく人が殺害されます。

交通事情も非常に悪く、目の前に立っていた人が車に引かれたのを見たときは、あと半歩前にいたら自分も同じ目にあっていたんだなと感じました。

当時は救急車を呼んだら、呼んだ人が救急車の手配両を払わないといけなかったり、その親族一同の生活まで見ないおといけなくなるケースもあったりという事情もあり、事故やケガが街中で起こっても周囲の人は巻き込まれるので見て見ぬふりをしている時代でした。

今はしりませんが。

12年前の話なので。

まとめ

とはいえ、中国はそれでも住んで仕事したくなるくらい刺激的でチャンスにあふれた町でした。

至る所でチャンスに巡り合い、いったいどれ程のお金を動かして、一体社会の中でどれほどのお金が動いてきたことでしょうか。

どこの国もバブルの時は楽しいものなんでしょうね。

今は、質素に日本で工場勤務しながら株式運用したりしてますが、「刺激」という意味では、中国生活が過去最高でした。

今は平凡な日々が1番ですが。

日々とても楽しかった事を覚えています。

そして、妻との新婚生活スタートの地でもありました。

人生山あり谷あり。

人生何があるかわからないからこそ、今努力出来るのかもしれませんね!

では、最後まで読んで頂き有難う御座いました(^^)/

 

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